天の光はすべて星 躑躅森盧笙について

 

 

躑躅森 盧笙ROSHO TSUTSUJIMORI
MC NAMEWISDOM(ウィズダム

 

挫折をしない者は、新しい事に挑戦したことが無いということだ

Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.
職業 教師
年齢 26歳
 
教師。
簓とは過去、お笑いコンビを組んでいたが、
簓の才能に自分が釣り合っていないと感じ、葛藤の末、解散を選ぶ。
教師として生徒からは非常に慕われている。
極度のあがり症で、大勢の人の前では上手に喋る事が出来ない。

 

さて、オオサカディビジョンの『あゝオオサカdreamin’night』も発売されたということなんですが、個人的におもしろいと思ったのが躑躅森盧笙先生です。

 

10月から毎月、ヒプマイ各ディビジョンの新曲が発売されるということなので、たぶんこの先半年はオオサカディビジョンのターンはこないはず。オオサカについての新しい情報もこないでしょう。

ということはもう今の時点でオオサカディビジョンについての情報は半年分出揃っている、と言っても過言ではない。

 

なので、CD出たばっかりですが盧笙先生について思いの丈を記します。

 

 

 

太陽と月

 

盧笙はかつて白膠木簓とコンビを組んで芸人をしていました。養成所に行ってたらしいので、本気だったはず。

しかし、簓の圧倒的な才能の前に盧笙は自分が足を引っ張っていると感じ、舞台で話せなくなってしまいます。

盧笙はコンビを解散し、次は教師として生徒の夢を応援する側になりました。

トラウマとして『あがり症』を抱えたまま。

 

 

 

これはヒプノシスマイク的に斬新な物語で、そして躑躅森盧笙はこれまでヒプマイ界の主要メンバーに存在しなかった属性を持つキャラクターだと思うんです。

 

なぜかというとこれは、とても乱暴な言い方をすると、いわゆる敗者の物語だからです。

これまでワンダースにはこういう物語はなかったんですよ。なぜなら全員勝者か、勝ち負けを超越したところにいるから。

一郎とか左馬刻とか、けっこう悲惨な過去なんだけど負けた感がない。独步だって何かに挫折して陰気になっているわけではない。

負け/挫折をメインに据えたキャラクターは躑躅森盧笙が初めてです。

 

 

さて、盧笙はソロ曲で

 

俺たちはまるで月と太陽

 

自分から輝きだそうと思えば思うほど暗くなる目の前

 

俺は太陽になりたかった月のよう

 

と歌います。

簓は自ら輝く太陽であり、自分は実は照らされる月であったと。

 

ここで注目すべきなのは、『盧笙は自分を月だと思っている』ということでしょう。

 

(ところで絶対に本人は認めないでしょうがヒプマイ界には盧笙以外にも自分を月だと感じてしまった人物がいまして、その名を完甘といいます。彼の物語は盧笙よりさらに苦いものになっています。)

 

 

盧笙は自分を月だと定義してしまいました。

盧笙が実際は太陽でも月でもどっちでもこの際問題ではなくて、自分を月だと思っている、ということがたぶんあがり症の原因なんじゃないかな・・・

だから太陽が隣にいないと輝けない(=自分ひとりではうまく話せない)と思いこんでいる

 

「あゝオオサカdreamin´night」の簓と盧笙の掛け合いの部分が象徴的なんですが、

俺は盧笙・・・躑躅森・・・

続きの文字が出てこおへん・・・

あ、ヤバイ・・・どうしよ・・・ああぁ・・・

とパニックになる盧笙に簓が声をかけます

 

「へい!ティーチャーWISDOM一言良いっすか?」

 

すると簓が出てきた途端に

いや、俺の番や割り込みすな!

と、盧笙からなめらかに言葉が出てくる。

 

月(自分)は単独では光れず、太陽(簓)が出てきたから月(自分)が輝くことができる、という暗示がかかっているのでしょう。

 

 

しかし、そもそも、人間のあり方って太陽だとか月とか天体にあてはめるものではないし、単純にふたつに分類できるものでもないはず。

 

 

実は、人間を月や太陽にたとえてしまったのが盧笙の敗因です。

その認知のゆがみを解除できたらあがり症も消えていくのではないかな。

なので一番手っ取り早いのは簓につっこんでもらうこと。たとえば、

「太陽とか月とか何言うてんねん、人は天体とちがうやろ~、盧笙は学校の先生やのにそんなこと勘違いしとったんか?」みたいに。

(あんまりセリフ上手くなくてすみません)

 

 

 

WISDOM

 

盧笙のmcnameはWISDOMといいます

wisdom

人間・人生その他についての長年の経験から得られるknowledgeに基づいた、均衡ある判断力と洞察力を持つ賢明さ

(ニューサンライズ英和辞典より)

 

 

さて、躑躅森盧笙は結構ユニークなエピソードが多くて

 

・副業としてネットワークビジネスをやっている(天谷奴にまんまと騙されている)

・初対面の天谷奴零に殴りかかった(暴力!)

・簓に500円貸したことをいまだに覚えている

・簓にプリンを食べられたことを根に持っている

・簓にラジコンを壊されたことを恨んでいる

 

 

など。

ラジコンのエピソード面白いですね。

コンビ時代の話だとしたら、いい大人がラジコン・・・?盧笙なかなかやばいな、となるし、

子ども時代の話なら2人は昔接点があったことになるし。

 

 

さらにこれらの話に加え、あがり症で授業に不備をきたしている様子もあります。

なんか、どうにも各エピソードが示す、盧笙について浮かび上がってくるイメージがポンコツなんですよ。

(盧笙が眼鏡につけてるコード、あれは眼鏡を置き忘れるため紛失防止でつけているんじゃないかと思ってます)

 

 

キャラデザでは理知的な人に見えるのに、なんでこんなつっこみどころの多いポンコツ系の人物に、よりによってWISDOMというmcnameが与えられたんだろうと思ってましたが、盧笙のソロ曲の歌詞を見て理解しました。

 

俺はあの失敗で何を手に入れた


wake me up

太陽の日差し浴びて

今日も何かに挑戦して

イコールの右側へと行こう

 

幾度も何度も転んでも

挫折し靴紐が解けても

destinationに辿りついた頃

その膝の傷の意味がわかるだろう

 

 

さらに彼に添えられた格言は

挫折をしない者は、新しい事に挑戦したことが無いということだ

 

 

盧笙のキーワードは挫折でしょう。

しかし盧笙は『挫折から何かを手に入れようとする』人物なのです。

 

何度失敗しても挑戦し立ち上がり何かを学ぼうとする。

その姿勢こそが知性と呼ばれるものであり、だからWISDOMの名は他の1.5ダースの誰よりも失敗し、挫折の意味を知る盧笙にこそふさわしいものなのです。

 

 

 

Own Stage

 

盧笙についての物語で象徴的なのが、彼のソロ曲のタイトル『Own Stage』ではないでしょうか。

 

Own Stage(俺の/自分のステージ)

であって

Our Stage(俺たちのステージ)

ではないんです。

盧笙のステージにはもう簓はいないんですね。aikata back againだというのに。

 

 

 

一方、ここで白膠木簓のソロ曲tragic transitorの歌詞を引用しましょう。

 

わいらはライマー度が過ぎたHIPHOP

オオサカrepresentどついたれ本舗

 

わいら見せるこの新喜劇

 

簓のステージはわいら(our)のステージなんです。

 

 

 

昔、盧笙と簓が楽しくコンビを組んでいて、盧笙があがり症になる前の段階では、おそらく盧笙のステージはour stageだったはず。

そしてコンビは解散し、盧笙はown stageに立った。

 

 

時系列がわからないので、盧笙のソロ曲Own Stageはひょっとしたら簓と(天谷奴とも)再び出会いラップするより前の心境をうたっているという可能性はあります。

たしかに当時の盧笙のステージは自分の教室だけだったのかもしれません。

 

けれどもどついたれ本舗の一員となった今、彼のソロ曲のタイトルがOwn Stageだということは、やっぱり今も盧笙のステージには自分しかいないのでしょう。

 

 

 

 

 

Own StageはいつかOur Stageになるのでしょうか。

それとも、躑躅森盧笙はひとりwisdomを胸に歩んでいくのでしょうか。

先のことはわかりません。

盧笙の歌う通り

人生は紆余曲折でなんぼやろ、ってこともあります。

けれども盧笙が簓の隣でいつか胸をはって、再びOur Stageに立つ日がきたら、きっといい。

その日が来ることを祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

オオサカディビジョンについての記事です


どついたれ本舗のアルバム「あゝオオサカdreamin´night」感想 - pyonkospicaの日記

 

乱数と帝統と量子力学(盧笙も)


帝統と乱数と賽の神 - pyonkospicaの日記

 

 

 

(最後にこんなこと言うのもなんですが、盧笙は完甘のアローラのすがただと思ってます)