今回はヒプノシスマイクと賽の神について。
賽というのはサイコロ、英語ではダイスです。
まず有栖川帝統がシブヤディビジョンのチーム、Fling Posseにどのような経緯で加入したかという話なんですが、コミカライズを見直して行きますね。
僕と一緒にチームを組もっ☆
と帝統に言う飴村乱数。
俺は大事なことを決める時には必ず賽を振るって決めるんだ。賽には神が宿ってるんだ
と返す帝統。
賽の目が偶数ならお前とチームを組む、奇数ならこの話はなしだ
そして帝統はサイコロを振りました
結果は奇数
チームは組まないという帝統に乱数は言います。
帝統はサイコロの神様を信じるか、と。
以下、二人のやりとりです
勿論だ、俺は賽には神が宿ってるって信じてる
なら帝統が神がいるほうに賭けるんだね
今サイコロはボクとチームを組まない方を帝統に示したよね
だから帝統はボクとチームを組んで碌でもないことになればサイコロに神がいたってことが証明される
けど逆に良かったなって思えれば神はいないことの証明になる
(・・・結局、帝統には乱数とチームを組む選択肢しか提示されてないんです。乱数は悪魔。)
ということで帝統と乱数は(サイコロに)
神がいるか/いないのかという問いによって結びついた関係なのです。
サイコロ。神。
これらのワードを使用した、ある偉人の有名な言葉が存在します。
そう
「神はサイコロを振らない」です。
発言者はアルベルト・アインシュタイン
アインシュタインは、現象が因果に基づかず確率で起こりうる、という量子力学のふわっとした感じが好きではなく批判のために上記の言葉を発しました。
さて1.5ダースにはアインシュタインと縁のあるキャラクターがいまして、それはわれらが躑躅森盧笙先生。
盧笙に添えられた
挫折をしない者は、新しい事に挑戦したことが無いということだ
という文章はアインシュタインの言葉であり
彼のソロ曲『Own Stage』にも
アインシュタイン教えて
という歌詞がありますね。
躑躅森盧笙がアインシュタインを道標にしているとしたら、サイコロに神はいるかいないか、という帝統と乱数の哲学的問題に対して盧笙は物理学的アプローチからサイコロと神の関係を解釈してくれるでしょう。
有栖川帝統、飴村乱数、躑躅森盧笙って不思議な組み合わせですが、彼らにはサイコロと神について考える者たちであるという共通点があるのでした。
そうそう、夢野幻太郎も2019年4月発売のドラマトラック『Don’t Play No Game That I Can’t Win』にてシュレーディンガーの猫ごっこ?をしていました。
『シュレーディンガーの猫』とは物理学者シュレーディンガーが量子力学のパラドックスを指摘した思考実験。
シュレーディンガーはアインシュタインと同じく、量子力学の確率論に対して異を唱える立場だったそうです。
ヒプマイはちょいちょい(反)量子力学の匂いがして面白いですね。
躑躅森盧笙についての考察です