ヒプマイのアルバムEnter the Hypnosis Microphoneの感想 シブヤとシンジュク

引き続きヒプマイの新アルバム『Enter the Hypnosis Microphone』の感想を書いていきます。




3.stella


シブヤディヴィジョン新曲です。みなさん言ってるとおり、エモ散らかしています。それに帝統の声がしっとりとしていて、すごくいい。帝統の声優さんラップ上手いですね。帝統はダミ声じゃない声が出せるのかと衝撃でした。以下、気になったところをまとめます


・幻太郎の知っていること

作詞の弥之助さんのインタビューにもあるのですが、stellaという曲は夢野幻太郎の創作だという設定なんだそうです。
この曲の中で、まず帝統は『焼け落ちた剣の星の王様』という設定になっています。「綻びた覇道への扉」「星を追われる逃亡者」「遠のく玉座」などのキーワードが記されています。
・・・これ、『東方天帝統』のことのような気がしてなりません。有栖川帝統は東方天乙統女の息子であるということを、幻太郎は知っている?



(有栖川帝統=東方天帝統説を唱えています。以前の記事↓)


東方天帝統の憂鬱 有栖川帝統考察 - pyonkospicaの日記




一方、飴村乱数は『光り方を忘れた隅っこの星の科学者』です。
キーワードは「人の道を外れた」「倫理の叫びなど枷になる」「老いを止めた」かな。
こっちもヒプマイ界隈でよく聞かれる考察、『飴村乱数人外説』を想起させます。乱数は「失敗作」で、人類を滅ぼしたいと思っているというシーンはドラマでも描かれています。

ということは幻太郎は、帝統が実は身分のある家の子だと気づいてるし、乱数に人ならざる科学の匂いがすることにも気づいているってことですね。だってstellaを書いたの幻太郎だし。

でもそれを明らかにする意味ってなんでしょうね。俺はおまえたちが本当は何者か知ってるぞ、って帝統と乱数に言う意味。
脅迫か、なにかの取引につかうのか、はたまたお前らが何者でも気にしないぜ的な博愛の精神か?



・水晶と砂について

幻太郎本人は『右側が水晶、左側が砂の星の山賊(盗賊)』です。
考察したいと思うんですがまだ腑に落ちないところがあって、正直よくわかりません。
そもそも歌詞の中で幻太郎は山賊の時と盗賊の時があるし。山賊と盗賊のどっちなんだよ!


とりあえず水晶と砂は真実と嘘の隠喩だろうなと解釈しています。

・・・

石英は、二酸化ケイ素 が結晶してできた鉱物。六角柱状のきれいな自形結晶をなすことが多い。中でも特に無色透明なものを水晶と呼び、古くは玻璃と呼ばれて珍重された。 石英を成分とする砂は珪砂と呼ばれ、石英を主体とした珪化物からなる鉱石は珪石と呼ぶ。

(Wikipediaより引用しました)

・・・

水晶はイコール石英という鉱物です。
石英が美しい結晶になれば『水晶』と呼ばれ、石英が砂になった物は『珪砂』つまり砂です。
水晶は真実、石英は事実、砂は嘘。

もしくは砂が真実、石英が事実、水晶が嘘。
幻太郎にとっては、嘘も真実も事実が形を変えた同じものだということですね。

ここまではわかるんですがこの先がわからない。
『盗賊』ってなんなんでしょう。幻太郎は何か大事な物を盗んだか、持っているのか?
ただ、幻太郎のライムは「首が宙に舞う」「サディストなPriest」「理由もなく貧富の差で死ぬ」「退屈を殺したい」と物騒なワードが目白押し。死と暴力の匂いがたちこめてます。

幻太郎は捨て子の自分が誰なのか知ってるんでしょうか?



・帝統の剣

『ペンは剣よりヒプノシスマイク』の『剣』にもかかってそうですね



・乱数の迷宮

乱数のパートには『迷宮の果てにあるマテリアル』という歌詞があります。この迷宮って神宮寺寂雷の『迷宮壁』からきてるのかも。もしかして寂雷の『息絶えたアイツ』ってオリジナルの乱数のこと?



・爪先は前に向けておく

爪先は前以外に向けるのは逆に難しいのではないか、というのはおいといて、ほんといい歌詞ですね。今回の新曲で一番素敵な歌詞だと思いました。





4.パピヨン


シンジュクディヴィジョンの新曲。
新曲4曲の中で最もいまいちだと思ってます。
iTunesのランキングでも4曲では最下位です。ちなみに4曲中1番はstella。
何がいまいちかというと、なんとなく、なんとなーくですが歌詞を書いた人がテキトーな仕事をした感じがあるんですよ。
シンジュクのCD渡されて資料もらって短期間でやっつけた感じ。
あー、独步ちんと一二三の関係性に萌えさせりゃいいよね、独步は社畜だからすみませんって寝言でいいんじゃね、寂雷のアルコールネタいれとく?麻天狼まけんぞうって速水奨が言ってたのもいれとく?ついでにシャケもね。最後はいいこと言って締めよう。『今日という日は、残りの人生の最初の日である』by伊弉冉一二三。


よく言えばサービス精神にあふれた曲です。好きな人は好きでしょう。
stellaだって似たようなことやってるんです。小ネタをちりばめて最後はエモく締めるって感じで。なのにこの差はなんなのか。音楽って難しい。
stellaとパピヨンはオタク層向けに音楽をつくることの難しさを示す対称的な2曲だと感じます。

また、パピヨンは蝶と蛾のイメージで作詞したと作詞の方がツイッターで言っていました。
ほんとかな。
私は犬種のパピヨンじゃないかとうたがってます。
麻天『狼』に対する『パピヨン』。
耳が蝶のかたちの小さな愛玩犬ですね。
狼とか言ってるけどしょせんオタク向けの歌だし、キャインキャインいってるワンちゃんで十分なんじゃない?
みたいにディスられてる気がしてなりません。





まとめ

前回バトルシーズンはシンジュクが優勝したんですが、stellaがあったらシブヤが優勝だったかもしれません。
現にいまiTunesベースで戦ったらシブヤ優勝です。
(シンジュクのファンの方が実際のCD購買力は高そうですが・・・)

楽曲ひとつで風向きを変えられるなんて、現実とヒプノシスマイクの世界が融合してきた感がありますね。






この時点ではわからなかったStellaと夢野幻太郎について5ヶ月後に考えを進めました
よかったらお読みください↓

おれがあいつであいつがおれで 夢野幻太郎仮説 - pyonkospicaの日記